故翠叔母の供養についてどうするか決めたかったので、嫌がる修一兄を誘って11:00に王子新町の安養寺で一緒に相談することに決めていたが、案の定、兄が直前で嫌がり相談を始めるのが15分ぐらい遅れた。
まず新物故者である翠誉清映禅定尼を供養する経を本堂で上げた後、座敷で話した。映二叔父の事、ボケ婆のこと、東京の姉妹のこと、兄の住所、俺の病気のことなどをざっと説明して中陰逮夜の相談をした。
住職が中陰逮夜表を作っていてコピーを俺と兄がもらった。東京の姉妹組が10月の体育の日ごろの連休を使って来そう旨伝え、10/9,10はNG、11~15日頃はOKだが12日は小坊主になるとのこと。
東京と連絡してまた改めて連絡するが49日だけ経を上げてもらうことにして、他の中陰逮夜は特に山田家として何もしないことを伝えた。お寺の本堂ではいつもやっているとの事。兄宅で灯明と線香をつけお参りすればよいとかで、修一兄も日にちの分かるコピーを持って帰ったので期待するのみ。
昨日は住職がお経が終わるとさっさと帰ったので渡せなかったお布施を帰る前に渡すことができた。中身は一昨日決めたとおり100,000yen。ついでに風之荘に注文をつけてお棺周りの仏具を増やすように言ったか確認したら、やっぱりもう少しちゃんとしろと文句をつけてくれたらしい。お別れのお経を住職が上げに来る直前に葬儀屋の係員が来て札や魚拓や御香台が立派なのに変わっていたので急にサービスがよくなって不思議だなぁと思ったのであった。
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