
あさ09:04、高江のシルバーハウスから大分日赤病院に救急車で搬送されたが亡くなった。肺気腫をこじらせ呼吸不良になったもの。73歳だった。
8時半にシルバーハウスから救急車で日赤に移送すると連絡をもらい。9時過ぎに日赤から電話があって死んだと教えてもらった。
日赤病院ではシルバーハウスの安藤さんの助言で生活保護制度が出せる範囲で収まるようにしてくれと注文をつけて民間の葬儀社に頼めるはずと教えてもらった。大道の葬儀屋・風之荘が葬式はせずに出棺だけなら、ということで遺体搬送を引き請けてくれることに。安藤さんが遺体はこれから当然葬儀社内の控えの間まで運んでくれる訳ですよね、とナイスフォローで押し切ってくれた。
生活保護制度で賄える葬儀費用は19万円ぐらいらしく、葬儀屋は自宅に遺体を運ばせて出棺だけで19万円にしたかったらしいが、貸し部屋までする条件で押し切られた形に。でも、俺に言わせると搬送料と出棺費用、控え間使用料、奉仕料で一晩19万円はやっぱり高いと思う。
遺体を葬儀屋に運び込んでから、安養寺に連絡して何とか安く戒名だけつけてもらおうと連絡したら「とりあえず今からお経を上げに行きます」と気持ちよく言ってくれ、それからまた相談しましょうということに。
11:00に安養寺の小坊主がきてお経をあげ、「明日は住職がきます。きちんとした葬儀じゃ無くてもかまいません。控えの間でも全然OKです。何時にしますか」とまたまた気持ち良く申し出てくれた。出棺を東京組帰分の可能性を考えて14:00ごろに決めていたので「では11時ごろに」と約して帰っていった。後で葬儀屋から白木の位牌を持ち帰ったと聞かされた。戒名をつけることにしているらしい。葬儀屋は相場が30万円くらいと言っていた。こっちは貧乏なので100,000yen包むことにした。
16:00に入棺。それまで病院で着替えた浴衣風の寝間着(3,150yen)で布団に寝てたのを、手甲脚半の仏衣に着替えさせ、入棺状態に替えた。入棺に立ち会って良かった。葬儀屋がやってくれるものと考えていたが身体を拭いたりと遺族が立ち会ってせねばならないことが結構いっぱいあった。
翠叔母を一人にするのはやっぱり可哀想な気がしたので泊り込むことに決めた。有輝丸も泊まりに来て晩ご飯は弁当を買って食べた。有輝丸は忌引きで会社を3日間休みにしたらしい。夜になって千恵子・久姉弟と一朗夫妻が、風呂に入っている間に光男叔父がきてくれた。01:30ごろ就寝。
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